Masdevallia caesia
突然、尾籠な話しで恐縮であるが、苦労して栽培し、ようやく咲かせた蘭から、一週間ほど履き続けた靴下の臭い、もしくはウンチの臭いがしたら、あなたならどうしますか?
4月から5月にかけては、マスデバリアの開花時期である。4月の例会でもカラフルなMasdevallia coccinea(マスデバリア・コクシネア)が多数出品されていたが、その中で、逆さまに吊った鉢からまっすぐ下向に伸びた青みを帯びた葉と半透明・黄土色の大きめの花がたくさん付いたマスデバリアが注目を
集めていた。
しかし、この株の周りには、町なかでイヌの糞を踏んづけてしばらくすると足下から臭ってくる、あの独特の臭気が漂っていたのであるが、はじめは花の美しさと珍しい植え付けに目を奪われ、まさかこの花が臭気の元であるとは思いもよらなかった。
Masdevallia caesia(栽培:島崎純一)
常日頃から花を見るとその香りを確認するように心がけているので、吊り下がった鉢を引き寄せて思いきり鼻から息を吸い込んだとたん、クサヤの臭いとも完熟したウォッシュタイプのチーズの臭いともつかない、とにかく花の香りの範疇にない臭気に思わず咽せてしまった。
ラベルを見ると「カエシア」とだけ書いてあり、Masdevallia caesia のことであるのは、例会後、帰宅して図鑑を調べてからであった。しかし、どの図鑑にもこの独特の臭気については触れられておらず、唯一、Roman
Kaiser著の The Sent of Orchids に「It is difficult to believe that this
sent ,or rather stench・・・・とても信じられないような悪臭」という表現がなされていた。
ちなみに、ウンチの臭いなどという下世話な表現はなく、臭いの原因物質はbutyric acid(ブチル酸)とisovaleric
acid 云々という化学的な説明がついていたが、さすが蘭の香りの専門書だけのことはある。
マスデバリア・カエシアは、コロンビア高地南西部(標高2000m〜2500m)の多湿な熱帯山岳林(雲霧林)に自生する蘭であり、コロンビア南西地域の固有種である。
自生地では、木の幹に下垂して着生しており、葉も下向に伸びる。葉の大きさは12cm〜15cm、花はNS12cmに達する。この臭気からもわかるとおり、ハエを受粉の媒介者としており同様な仲間にMasdevallia
elephanticeps というベネズエラ産のマスデバリアがある。elephanticeps(エレファンティセプス)も悪臭の花の代表のような蘭であり、先のRoman
Kaiser氏によれば「動物園のライオン舎の臭い」なのだそうだ。
栽培については、残念ながらどの資料にも詳しい記載がないし、筆者も栽培の経験がないので詳しく解説ができない。
ハエを媒介者とする花は、腐臭、糞臭など、動物性の臭気を発するものが多く、なかでも、世界一の巨大花・ラフレシアが肉の腐った臭いを発することはつとに有名であるが、蘭の仲間ではバルボフィラムの仲間にそのようなものが多い。
Bulbophyllum fletcherianum(フレッチェリアヌム) や Bulbophyllum phalaenopusis(ファレノプシス)を、最近、あちこちの蘭展で見かけるが、
その巨大な姿と腐臭で有名になっている。
Bulbophyllum fletcherianum
蘭の香りは、受粉の媒介者に合わせてきわめて多様である。
最近の蘭展では、香りの審査が行われ、芳香、いわゆるフレグランスについては、だいたい入賞花が固定化してゆく傾向にあるが、このような悪臭を持つものについては評価がなされないのは、片手落ちのような気がするのであるがどうだろうか?
実際、このテキストを書き起こすにあたって、悪臭のする蘭の代表的な種類を調べようとしたのであるが、どの図鑑や栽培指南書にも、悪臭を放つものについてはなんにも書かれておらず、芳香のあるものについてだけ「香りがある」と書かれているだけである。
しかし、冒頭で投げかけたように、自分の栽培している花がとんでもない悪臭を放ったとしても、蘭を愛する者にとっては何か大きな親しみが湧くのではないだろうか?
それでなければ、そのての蘭が蘭展に出品されるはずがない。であるとすれば、一度でいいから悪臭コンテストのようなものがあって、最悪の臭気を放つ蘭に悪臭グランプリが授けられたら、これまた自然の驚異に乾杯をしたくなるのは、筆者だけであろうか。
記:三宅八郎 |